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二葉亭四迷「死んでもいいわ」を最初に書いたのは誰か?

2015-06-19

二葉亭四迷は「I love you.」を「死んでもいいわ」と訳していない。のその後です。

「書いてない」ということがわかると「じゃあ誰が書いたって言ったんだ」ということになると思うのです。
しかしそれをつきとめるのはさらに難題なわけです。

まず最初にわかったことは、この話が広まったきっかけが「3年B組金八先生」である、ということです。

・第6シリーズ第7話で金八が話した?
・第1シリーズ第14話からとられている?

余談ですが、この2話の脚本を書かれた方は違う方です。後者の方が最初からほぼメインの脚本家で、前者の方はこの1話のみ書かれています。

第1シリーズは1979〜80年にかけて放映されているので、それより古い文書を探しましたが見当たりません。
書籍や論文で記載を見つけたのですが、1979年より古い刊行物が出てこないのです。
(論文と言えば、とある大学院の論文にもこの件が書かれていました。2000年以降のものです。原典は記されていません……)

というところで、さっさと最古のネタにつながる道筋を出してしまいます。
意外なところにきっかけをみつけました。これまた論文です。
静岡大の今野喜和人先生が書かれた「長田秋濤訳『椿姫』における恋愛表現をめぐって」p.14に、次のような記載があります。

夏目漱石が学生に I love you. は「月がきれいですね」と訳せと教えたとか、二葉亭四迷が男性の求愛に対して答える女性の I love you. 相当表現を「死んでもいいわ」と訳したとかいう逸話が残っているほど、この西洋文学の最頻出(?)表現の適訳を求めて、翻訳者は苦闘したのである。
(脚注まで略)
後者のエピソードについては金田一春彦が土岐善麿の報告として伝えているが(『日本人の言語表現』講談社現代新書、1975 年、237 頁)、前者は出所が不明で、ある種伝説と化している。

金田一春彦という方は、言語学・国語学の大家です。
土岐善麿という方は、大正・昭和期の歌人です。年表を比較すると、二葉亭四迷が亡くなったのが1910年であるのに対して、土岐善麿はその年に新卒の新聞記者となっている、という年齢関係(20歳差)です。

土岐善麿から金田一春彦へいつどのような形で「報告」されたのか(『日本人の言語表現』を未読なので)詳細不明ではありますが、その時点ですでに「伝説化」していたのではないか、と推測しています。

というのも、ややこしい話ではありますが、土岐善麿の友人に石川啄木がいます。その石川啄木の親友のひとりが、金田一春彦の父金田一京助だったりします。
で、石川啄木は1912年に亡くなるのですが、死の直前にしていた仕事というのが、朝日新聞社で「二葉亭四迷全集」の校正なのです。この時の編集人が坪内逍遥で、この人は土岐善麿の恩師島村抱月の盟友・同僚というわけで、当時の関係者が一団となっているのです。

おそらく、これら登場人物が「Yours…=死んでも可いわ…」という名訳について語る際に、どこかで別の話と混ざってしまったのではないか、と推測している次第です。

そういえば、もう一方の伝説の主、夏目漱石は1907年に朝日新聞社に入社、1915年に亡くなっているので、夏目漱石もこの件の関係者といえば関係者ですね。さらに、既にこの当時から、夏目漱石の「造語伝説」のようなものがある程度できあがっていたという話があるようです(これは現時点では裏付けを持っていません)。

ひょっとすると、夏目漱石の「月が綺麗ですね」の伝説は当時すでにあり、その話と二葉亭四迷の訳がまざって語り継がれた、ということなのかもしれません。

#乗りかかった船なので、『日本人の言語表現』をぜひ入手してみたいと思います。
#手に入ればですけども…。